NNTTのオテロにいく。
むかし、クライバー、ドミンゴ、のスカラ来日公演を、二度体験、オテロは、もう、一生分見たような気分になって、その後は、あまり行く気にならなかった。で、新国立は、初めてかもしれない。
マリオ・マルトーネさんの演出、今回で3度目のようで、安定の出し物のようだ。
さて、出だしの嵐の海の合唱、港からこちらをみて人々が歌っているので、オテロはどこからでてくるんだろうと思ったら、左手の客席から橋桁?を渡って登場。
雷の効果音も派手に鳴り響いて、音楽だけでも十分なのにね、などと思う。まあ、なかなかの迫力、でも、気のせいか、NNTTの今日の合唱は(いつもは、いいなぁと思う)、キレがあるけど、インパクトには欠けてた感じがした。
とはいえ、ヴェルディの音楽は、すざましい切れ味で、息もつかせず、という感じ。指揮のパオロ・カリニャーニさんも、ぐいぐい鳴らす。
オテロのカルロ・ヴェントレさんも、デズデーモナのセレーナ・ファルノッキアも、じょじょにエンジンがかかって、なかなかであります。
ただ、オテロって、もともと、英雄の非劇というより、なんだか情け無い、男の自滅劇っていう感じで(まあ、自分の夢のような幸福を信じきれない、心の底に巣くっていた、不安と劣等感に、飲み込まれちゃうということよね)哀れではあるけれど、同情は感じにくいところがある。
それと、この演出、デズデーモナが挙動不審な動きをするけれど、あれは、オテロ目線の妄想ということなんだろうか。
男の不安に鈍感な、いいとこ育ちのお嬢さんで、成熟した女性の感度に欠けるデズデーモナも、まあ、困ったもんだが、交通事故的なその死に方は、不条理ではある。
さて、オテロの出来栄えは、イアーゴがどれぐらいエグイ凄味がでるかできまるみたいなところがあるわけだが、今回のウラディーミル・ストヤノフさんのイアーゴ は、少し、軽量級だったかもしれない。
この演出、キプロス総督のオセロの邸宅が池?に浮かんでいるよう設えになっていて、真ん中に、東屋みたいな寝所があり、そのまわりで、物語が進む。
で、池には本物の水が張ってあるようで、なかなか、大掛かり。ただ、建物にはあまり、質感が感じられないので、ちょっと中途半端。お金のかけどころとしては、いまいち、どんなものかなぁと思う。
それに、こういう舞台装置が、このオテロにどんな意味合いをもたらそうとしているのか、あまりよくわからん、という感じでありました。
そろそろ、新演出にしたほうが良いんじゃない、と、無責任な感想が、ヴェルディはすんごいけれどね。
オペラ「オテロ」/ジュゼッペ・ヴェルディ
Otello / Giuseppe VERDI
全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉
オペラパレス
指 揮 パオロ・カリニャーニ
演 出 マリオ・マルトーネ
オテロ カルロ・ヴェントレ
デズデーモナ セレーナ・ファルノッキア
イアーゴ ウラディーミル・ストヤノフ
カッシオ 与儀 巧
エミーリア 清水華澄
合 唱 新国立劇場合唱団
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
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