でも、やはり、シューベルトは、未完成とグレイトまでくると、まるで、別物です。
ロマンティシュとは、こういうことだと、腹の底からわからせてくれます。
ま、フルベンのグレイトみたいに、お化けが出てくるわけではないので、随分助かりますが。
ベームのグレイトは、1975年のヴィーン・フィル東京ライヴを現場体験したくちなので、おおいに、思い入れがあります。あの、彼方からのホルンの呼び声が、まだ、はっきり、耳のそこに残っています。ベームには、毀誉褒貶がいっぱいあるわけですが、あの体験をしたわたくしめには、なんの迷いもありません。ベームは、神です。
ベームのグレイトは、1975年のヴィーン・フィル東京ライヴを現場体験したくちなので、おおいに、思い入れがあります。あの、彼方からのホルンの呼び声が、まだ、はっきり、耳のそこに残っています。ベームには、毀誉褒貶がいっぱいあるわけですが、あの体験をしたわたくしめには、なんの迷いもありません。ベームは、神です。
彼岸花のはしり |
懐かしさに駆られて、ライブのCDから、nanoにアップし、聞いてみました。
未完成、グレイト、マイスタージンガー、シュトラウス(なつかしや、おはこの「南国のばら」etc)
晩年のベ-ムらしいゆったりとしたテンポ、でも、実演のべームの気力あふれるサウンドと勢い。やはり、ベームのライブは格別です。
この来日公演のころの日本は、ベーム・バブルといいたいぐらいの異常な人気で、カラヤンが音楽界を睥睨していたころの地味な扱いの頃からのファンとしては、かなりの違和感を禁じえなかったものでした。
演奏後の拍手や歓声もすさまじいもので、CDにもそれがはっきり残されています。
終演後なんどもなんども聴衆に呼び出されて、最後には、カーデガンをはおって、もう、おやすみだよ、と現れたベーム爺さんのうれしそうな姿を思いだします。
そういえば、グレイトの最後の音がおわると、間髪をいれずに拍手と歓声が上がる様子が記録されていて、こういう、グレイトをきいていて、すぐに、拍手や歓声を上げられるなんて、いったい何を聞いているうだろう、息をするのも苦しいぐらいなのに、と不思議に思ったものでした。
コンサートにいくのを敬遠するようになったのも、そういうことへの違和感が一因だったなあ。
ところで、そんな、あやしげな日本の演奏会場ですが、1度だけ、曲が終わった後、何十秒かホール全体が静まり返って、異様な感情に包まれた演奏に遭遇したことがあります。
有名な話でしょうが、バーンスタインが振ったマーラーの9番でした。
わたしは、偏見の強い人間ですので、アメリカ人の指揮者なんて、全然信用出来ないよと思っていた大馬鹿もんなのですが、あれには、打ちのめされた、と言っていいと思います。不意打ちでしたから、なおさら、効きました。
あの体験のあとからは、バーンスタインならば、どんなものでも、不平をいう気にはなれません。
学生時代ひどくけなしていたモーツァルトでも、頭を垂れて聞くことになっています。
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