大好物のマーラー、交響曲 第3番 を聞きに、ミューザ川崎にでかける。
実力者のジョナサン・ノットが、どんな演奏をしてくれるのか、大変楽しみである。
ノットの 第3番、もっとすっきり系だろうとと思っていたのに、なかなかに、気合の入った演奏で、
おどろかされる。
楽想の性格が明確に描き別けられていて、マーラーのかなり分裂症ぎみな、音楽の変転が、す
ぶる克明にうたわれる。
それに、ミューザ川崎シンフォニーホールの特性なのか、弦や管や打楽器がそれぞれ、くっきりと分離して聞こえてきて、なんというか、オーケストラというより、大編成の室内楽みたい(いかにもマーラーの管弦楽書法)で、極めて面白い。
声楽が入ってくる5楽章も、東京少年少女合唱隊が3階席から天使の声をうたいあげて、スペクタクル、気分が盛り上がる。メゾ・ソプラノの藤村実穂子も、さすがの歌を聴かせてくれた。
最終楽章が終わっても、例の、フライング・ブラヴォがなく、しばしの静寂ののち、盛大な拍手と言うなかなかの秀演だった。
帰りの電車でプログラムをみていると、ノットは、第3番の終楽章は、ハッピーエンドではない、中途半端な解決だといっている。
へぇ。そういう解釈だったんだ。そういえば、夢のように美しい響きの中で、浄化して終わるというより、まだなにかありそうな終わりかただったかも。そう、強く感じたというわけではなくて、なんとなくではあるのだけれど。
でも、マーラーは、あの9番のあとに、10番を書いた人なので、完全にこれで解決とかはありえないと思う。ただ、そのとき、そのときで、乗り越えるための苦闘はしていたわけで、とくに、3番だけが、中途半端、というわけではないんじゃないだろうか。
とくに、3番は、4番に直接つながる曲なので、ある種の浄化の想いが色濃くあるような気がするんだがなぁ。
ノットの3番、すこぶる、印象的な演奏だったんだけれど、終楽章に、なんとなく、カタルシスで満たされきれない感じがしたのは、そのせいだったんだろうか。はて。
しかし、やっぱり、マーラーの交響曲 第3番、すきだなぁ。大満足でした。
P.S.
ノットは、プログラムのドイツ文学者の岩下眞好さんとの対談で、
「3番の終曲は
いつか確信が得られるのではという希望を抱いたものの、
それは結局のところ叶わないのです。
そういう、ほんとうに、悲しい音楽です。
深い優憂愁を帯びた幕切れです。」
という発言をなさっていました。
東京交響楽団 川崎定期演奏会第52回
マーラー:交響曲 第3番 ニ短調
指揮:ジョナサン・ノット
メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
児童合唱:東京少年少女合唱隊
女声合唱:東響コーラス
会場 ミューザ川崎シンフォニーホール
公演日時 2015年9月13日(日) 14:00開演 終演15:50
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