2014-07-20

インバル マーラー 交響曲第10番 都響スペシャル@サントリーホール

インバルの都響スペシャル、マーラの交響曲第10番クック補完版をききに、サントリーホールにいく。

2012年から、大地の歌をかわきりに交響曲1番から9番、嘆きの歌の3楽章版も途中にはさんで、この交響曲10番の5楽章版で、いよいよ大大円となるわけだ。
実演でクック版を聴くのは初めてなので、大いに期待が高まる。

交響曲の1楽章のアダージョが始まると、ああ、マーラーは9番の後で、こういうふうになっていったんたんだと、しみじみ思う。
諦念といっていいのだろうが、抹香臭さは全然なくて、ひたすら、美しく、惜別の響きにつつまれながら、曲が進んでいきます。

そして後半、太皷の死の一撃のあと、音楽はますます美しく立ちあっがってきて、リヒャルト・シュトラウスの四つの最期の歌の世界のように、昇天してゆきました。

ブラヴォ、インバル!ブラヴィ、都響!
インバル、このチクルス最高のパフォーマンスではないでしょうか。

ホールを出て、駅に向かっていても、妻と二人で感に耐えがたく、頭の中に余韻が渦巻いて、少々ぼおっと、ふらつきながら歩く感じになってしまいました。

私のマーラー体験の中でも、バーンスタイン9番につぐ、圧倒的な演奏会といっていいのではないでしょうか。

インバルのマーラー・チクルス、今後、第3回目があるんでしょうか?あったとして、私に聴く時間が残っているんでしょうか?

今は、この演奏が聴けた、それだけでいいと思うことにいたしましょう。
インバルに、感謝!合掌。

(よしなしごとを、一言。
実演に良くありがちなことですが、今回、私の席の前に座った中年の女性が、第二部の演奏中も、演奏会のチラシやプログラムをひらひらさせながら眺めたりして、演奏への集中を、異常に殺いでくれました。

まあ、まだ、死の香りなんていうものの、現実感には縁がなさそうなお年なので、いたしかたないとはいうものの、せめて、居眠りでもしてくれればいいのにと、私、本気でブチ切れそうになりました。

やむなく、片目をつぶって、視界から消してしまうことで、なんとか、対応したのですが、おかげで、第一ヴァイオリンの活躍をこの目で確認することは、できなくなってしまったのでした。

さて、演奏が終わったあと、その中年女性、大拍手でございます。気分ワリィ。お釈迦様みたいな超能力者で、あらせられたようです。二度と、わたしのそばに、すわってくれるなよ。お願い。)

マーラーの交響曲第10番の5楽章版、昔は、みんな、小馬鹿にしていたものです。
でも、マーラー真作にくらべて、オ―ケストレイションがいまいち、とか、そんなことは、わかりきったことじゃないでしょうか。
そうであっても、マーラーの、最後に残した、痛切なこの曲のトルソを、それなりの形で聴くことができるなんて、何にも、代えがたいことだと思いますし、それが、心に届けてくれるものの、深さは、未聞のものだと言っていいと思います。
この交響曲第10番の5楽章版は、必ずやレパートリー化されるに違いありません。いや、そうでなければならないと、心底、思いました。

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