ブロムシュテットのマーラー、それも第9番。正直、ピッタリの曲とは思えない。事前にN響のウェブを覗いてみると
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マーラー《第9番》で生きる喜びを晴れやかに歌い上げる
[Aプログラム]はマーラーが完成させた最後の交響曲である《第9番》。
今までこの曲は、健康への不安を抱えた作曲家が、死の予感に怯えながら書いた“現世への告別の辞”と言われてきた。
しかし最近、こうした見方には疑問が呈されている。脂の乗り切ったマーラーによる、充実した日々の所産だというのである。
それを裏付けるようにブロムシュテットも「生きる喜びを歌い上げた、晴れやかな音楽」と語っている。
この大作はむしろ、生死や美醜などあらゆる対立概念を包み込んだ、マーラーの世界観の集大成と捉えるべきだろう。
マエストロと演奏する第9番は12年ぶりだが、
曲のイメージから連想される「最後の機会かも知れない」といった特別な思いは、私たちに露ほどもない。
おそらく作曲当時のマーラーがそうであったように。
選曲も演奏も、マエストロにとってはあくまで音楽家としての日常の一部なのだ。
だが同時にそれは生きることそのもの、神から与えられた使命でもある。
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とかいっている。
近年、マーラー第9番は、辞世の曲的なものじゃなくて、もっと前向きな曲だという説が出ていて、ブロムシュテットもそれに賛成らしい。
まあ、あるあるかもしれんが、わたしゃ、バーンスタインのマラ9に日本公演を聴いたというのが心の支え???(大嘘)なんだから、そう簡単に宗旨替えするわけにもと思ったが、 なにしろ、ブロムシュテット御年95歳、ほぼ、フェアウェルコンサートなんでしょう。
これほど高齢の指揮者が振るマラ9なんて聞く機会はおそらくないということで、大いに迷った末、事前に購入していたノットのショスタコーヴィチ:交響曲 第4番の演奏会チケットを友人に贈ることにして、切符をゲット(席は、NHKホールの希少なスイートスポットという情報を信じて、3階右の壁の近く)したのでした。
ただ 一緒に行く予定の連れ合いが 体調不良で途中棄権になってしまい、なんだか 前途多難なスタートとなりました。
いろいろありましたが、結論から言えば、すげえ、大演奏でありました。
そして、やっぱり、普通のマラ9のイメージからすると、異種というか奇種(貴種) というべきものでした。
感傷とか神経症とかエキセントリックとかの陰が全然ありません。
ブロムシュテットらしい剄くて剛毅な精神がベースにあって、追憶というか回顧というか 夢見るような追慕の気分に浸されたマーラー、やはり95歳から眺める人生は全然違う風景が見えるものらしいです。
スクロバチェフスキーのブル9とは全然違いますけれど、受ける感銘には通うものがあるように思ったのでした。
でもでも、おいらは、やっぱり、バーンスタインについていくんだもんね、
第 1965 回 N響 定期公演
2022年10月15日(土)
開演 6:00pm(休憩なし) [ 開場 5:00pm ]
マーラー/交響曲 第9番 ニ長調 [80′]
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
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