2015-08-05

大野和士 東京都交響楽団 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調外 @ミューザ川崎シンフォニーホール

大野和士さんのショスタコーヴィチを聴きに、フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2015にいく。

この前の、就任記念演奏会のマーラー7番がしっくりこなかったわけだが、こういう感じだと、ショスタコーヴィチは案外いけるんじゃね、と思い付き、切符を買い込んだのだ。

さて、その予想はどんなもんなんでしょうか。

前半は、プロコフィエフのシンデレラ組曲第1番というもの。聞いたことあまりないが、プロコは、もともと苦手なんで、???な気分で、演奏に臨む。

大野さんの演奏、この前のマーラーで、リズム系と思ったとおりという感じ。小股の切れあがった、軽快な、演奏ぶりである。ただし、わたしゃ、プロコは駄目だという印象は変わらず。後半に、望みを託すことに。

休憩後、お待ちかねのショスタコーヴィチの5番が始まる。

のっけの出だしの音から、様子が違う。

大野さん、凄い思い入れのこもった、シャープでかつ内面的な音を鳴り響かせる。こいつは、すゲェぞ、予想を大幅にうわまわる、劇演といってよいパフォーマンスであります。

わたくし、もともとは、ショスタコーヴィチは、なんとなく敬遠気味。
例の、二重言語というやつのおかげで、何を聞いて、どんな感情を呼び覚まされても、ショスタコさん、舌出してるんじゃね、的な安心できない思いを抱いてしまうわけです。

はなはだ、自分自身の耳が信用ならないというのか、自らの自信のなさを、白日の下に晒される感じ。自分で自分の、優柔不断ぶりに、辟易してしまう。疲れっちゃうのであります。

それに、例のヴォルコフ以前の幸せなスターリン・マンセイ時代には、どうせ、プロコの劣化版じゃネとかいう、無理解ぶりを発揮していたのでありました。

ついでに言うと、わたしゃ、元来ドストエフスキー・マンセイのロシア派でございまして、当然、反ソビエト的偏向がはなはだしい訳なんですが、スターリン主義者自体には、特別の反感はもっておりません。

バリバリのスターリン主義者とかで、一部から、蔑みをうけていらした花田清輝さまの言説などには、(平和ボケの人道主義的コミュニストなんぞとはモノが違うというわけで)、感銘を禁じ得ないものがあるわけであります。

で、近頃は、なんでか知らんが、遅れてきたショスタコーヴィチ・マイブーム時代に突入ということにあいなっております。

やはり、マーラー以降で、妖しいのは、ショスタコーヴィチ以外にはなさそうじゃないか、とか思われるわけです。

閑話休題はさておいて、大野さんのショスタコ5番、極めて、すざましいものでありました。

この曲をきいていた、ソビエトの当局者様たちのお耳は、どんな構造をしていたんでしょう。スターリン賞を授与するとか、ジョークとしか思はれません。即刻、シベリア送りにすべきなのに。

第三楽章の悲痛な音楽のあと、第四楽章で激烈な怨念の爆発がやってきます。これの何処が歓喜なんでしょう。背筋も凍る反撃の雄叫び、そして、カタストロフは訪れません。この先に、どんな世界が残っていると言うのでしょう。空恐ろしくなります。音楽だけが持っているはずの浄化の力なんぞ、まるっきり影も形もない、戦慄の終幕です。

(奥さん、凄い音楽ネエ、最終楽章の太鼓なんて、超、怒ってバンバンたたいてた。と、ショスタコーヴィチ二重言語説なんてぜんぜん御存知ないのに、私なんかより、ほんと、耳がいいのよね。)

大野さん、この公演の前、公開ゲネプロをやったみたいで、そこで、どんなことをおっしゃっていたか、存じませんが、私には、そのようにしか、聴こえませんでした。

これをソビエト時代、演奏会場できいていたコミュニストのお偉方達が、革命の勝利にニッコリとか、笑ちゃうしかありません。

大野さんのショスタコーヴィチ、また何か振ることがあったら、ぜひ行かねばと思ったのでありました。

あれ、女の気配か?ショスタコーヴィチさん、また、舌出してるんかいな。やめてよね。もう。




フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2015 
東京都交響楽団  [指揮]大野和士
プロコフィエフ(「シンデレラ」より第1組曲)/
ショスタコーヴィチ(交響曲第5番ニ短調「革命)

公演日: 2015年8月5日(水)
開場15:00 公開リハーサル15:30    開演19:00
会場: ミューザ川崎シンフォニーホール (神奈川県)

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